青い星のパラレルワールド
〜SAKURA〜




「林檎があるんだ。食べてけよ。田舎から送ってきてさ」
イチハがウチを尋ねて来るのはメールで知らせがあったから分かっていた。
だから用意しておいた林檎。段ボール一箱の中から一つを選び出し、包丁を取り出す。
しゃりっという皮を剥く音。イチハは何も言わない。だが帰ろうとしていたのをやめたのか、後ろに気配を感じていた。
俺は笑い混じりに言う。
「田舎、東北だろ?今年は林檎が豊作だったらしくてさ、一人暮らしに段ボール一箱って多すぎだって」
「ラオト」
しんと澄んだイチハの声。笑い声を消して俺は振り向いた。
「、、、イチハ」
そのとき確かに見えたんだ。イチハが俺なしで生きていく姿を。
長かった前髪を切って、だて眼鏡もコンタクトにして、緩いトレーナーは捨てて背広で。
さぁっと何かが落ちていく気がした。毛穴が一斉にひらいて、寒気がした。
イチハが俺の額に手をあてる。
「ラオト、大丈夫?顔色悪いよ。真っ青になってる」
「あ、ああ、、、」
俺はイチハの手を邪見に払いのけ、後ろによろめいた。どすんと台所のヘリに腰をぶつける。
あれはなんだ?
自分に尋ねた。だけど答えは知っている。だって先にもう出ていたものなんだから。
イチハが俺なしで生きていく姿。
イチハは俺なしで生きていけるという事実。
目の前のイチハの姿がぼやけた。
さっき見えた社会人のイチハの姿とだぶっては、今のイチハに戻る。
ぐるぐると回る、イチハの未来。
「ラオト。本当に寝た方がいいよ。林檎は俺が剥くからさ」
イチハの暖かい手が俺の包丁を握った手に触れる。
頭が真っ白になった。
”行かないでくれ”
「やめろ!!離れてくれ!!」
手をまた振り払う。包丁の切っ先がイチハの手を切った。赤い血がぽとりと落ち、イチハが少しだけ離れる。
「ラオト、、、?ちょっとおかしいよ。どうし」
「いや、離れないでくれ、、、」
崩れ落ちた俺の肩にイチハが手をおきしゃがみこむ。
「どうしたの?ほんとに疲れてるんなら」
ぽとりと涙がこぼれた。頭を抱えて、見開いた目から涙が垂れ落ちるのを見ていた。
”イチハは俺なしでも生きていける”
イチハの声が聞こえなくなった。何か言っている気配はする。だけど聞こえない。
”行かないでくれ”
何も考えたくなかった。
床を濡らしていた涙が、イチハの流す血と混じっていく様を眺めた。
透明な涙が一瞬の抵抗の後、さっと血を受け入れる。
どすんどすんと音がした。胸が詰まるように鳴っていた。
唾液がこぼれた。呼吸がうまく出来ない。
「イチハ、、、、」
イチハが何か答える気配。でも聞こえない。
”イチハの声が聞こえない”
手がぶるぶると震える。手の中の固いものを握りしめた。
膝が笑う。
”イチハなしでは俺は生きていけない”
顔を上げた。イチハが心配そうに俺を見ている。
背広姿で。
「あああああああああああ!!!!!」
そのネクタイめがけて俺は手の中の包丁を突き刺した。
鮮血が背広のシャツを真っ赤に染める。顔に生暖かい感触を感じた。
瞬きをする。目に何かが入ったらしく、涙がまた溢れた。
背広姿が遠くなる。赤く染まった背広が見えなくなっていく。
「あぁぁぁぁぁぁぁ、、、、、」
声を出し切って、俺は息を吸った。思い切り吸って、吐いた。
久しぶりに呼吸をしている気分だった。肩が大きく動く。
ぼやけていた視界が次第にはっきりしてきた。
目に入ったのは床に倒れているイチハだった。
緑色のトレーナーが真っ赤に染まっている。
「、、、、イチハ?」
俺はしゃがみこんだままイチハに声をかけた。
だけど声が返ってこない。
「イチハ?」
”死んだよ”
どこからか声がした。イチハの声の気がする。
俺は急いで立ち上がるとイチハの顔を両手で包み込んだ。
眠っているような顔。唇は動いていない。
”ラオトが殺したんだよ”
「イチハ?」
確かにイチハの声がした。俺はイチハの肩を揺さぶって、もう一度問いかける。
「イチハ?生きてるんだろ?冗談だろ?俺を置いていくなよ」
”起き上がる訳ないさ。ラオトが殺したんだから”
「待てよ。俺は殺したんじゃなくって、、、」
背広姿のお前を殺したんだ。
後半は言葉にならなかった。
殺したんだ、と声に出さずに呟いてみる。
俺は確かに、イチハを殺したんだ、、、、、、。
頭が真っ白になった。
倒れたままぴくりとも動かないイチハを眺める。
俺がイチハを殺したんだ。
イチハの頬をもう一度触った。死んだ筈なのに、まだほの暖かい頬。
胃の中のものがせり上がって来るような悪寒。
「、、、嘘だろ」
俺はイチハの頬を撫でた。おしろいを塗ったような白い頬。昔ライブでこんな化粧をしたっけと俺は思い出して、再び撫でた。
「死ぬなんて、バカだな」
ひゃっくりのように笑いがこみ上げて来た。体中の筋肉が爆発するように揺れた。
「俺はお前を殺したかったんじゃないよ。お前の未来が許せなかったんだ」
笑いが止まらなかった。こめかみがぎゅうと締まり、顔の筋肉が引きつる。
夜中の月がこちらを見ている。
「俺を置いていくなよ、、、、俺独りじゃ駄目なんだよ、、、、分かってるくせに。分かってたくせに。置いていこうとしないでくれよ、、、、」
笑いが止まらなかった。涙がにじんだ。吐きそうな程、気持ちが悪かった。だけど同時にずっと言えなかった言葉をイチハに言えた清涼感も感じていた。
「イチハ、、、好きだよ、、、好きなんだよ、、、」
イチハの体を抱いたままずっと笑っていたかった。
だから俺はずっとずっと、イチハを抱きしめたまま笑っていた。
月が消えても、俺はイチハを離さなかった。


-End-


*Comment*

萪川様に書いていただきました、拙宅イチハとラオトのパロディ作品です。
青い星シリーズの原形になった「桜」という小説(サイト非公開)があるのですが、それを元にパラレルワールドを作ってくださいまして・・・何とも美しく、悲しい物語に仕上がっていらっしゃいます。
私の書く二人とは全然違う、でも共通した何かを内包しているような不気味さがあって、狂気に陥っていく様子が本当に生々しいです。
最後のラオトの言葉、そして妖しくも哀れな情景に、深い愛を感じました。

萪川様、ありがとうございました!
私からのお礼小説シリーズも、気が向いたら乗っけちゃうかもですよぅ〜♪